優等生が苦手
私が苦手な奴は、ずるい奴、
内側がどす黒いのに外側は優等生。
私が苦手な奴、
外側優等生だから、大人はたいがいそれに騙される。
「いい子ねえ!すごいね!」
私が苦手な奴、対して辛い思いしてないのに人の気持ちがわかってやれる奴と思われてるから、
私が大好きな人もそれに騙されるんだよなあ…。
私は、その優等生態度できないから、
辛いことは辛いって言うし、苦手な奴は苦手と言う…、てか自分の気持ちに正直に生きると、大人には気に入られないんだよな。
葛藤はする。
開き直って優等生のふりして、あの人に気に入られようか…とか、
色々色々考えるんだけど、
実際のところそれをしてしまうと私の場合自分をもう金輪際癒せなくなる。
あの時の辛い、しんどいで居たまんまで仮面をかぶる作業に戻る気がして出来ないんだ。
自分が癒しが終わると、人に対して自然と優しくなるという。
でもなあ…。
でもなあ………。
聖母みたいってなんなのさ。
ジーザスの母マリアはたしかに聖母。
だがな、
グラナダのマリアも聖母なんだよ。
ジーザスの母マリアが清廉潔白でいられるのは、
守られてきた愛があったからだろうが……。
それが辛かった、どうだっていわれてもな。
根本的にグラナダのマリアにその守られてきた愛があったというのか?
無かったんだよ。
だけどマリアなんだ。
守られず痛めつけられながらも痛みから這い蹲りマリアとなったグラナダのマリアのが、
私にははるかに優しさを感じる。
深い深い包容力を感じる。
罪人をもまず無条件で包み込む海容を感じるんだ。
優等生マリアしか、認めないなんて、気に入らないなんて、
たまにあいつに無性に怒りを感じて薄っぺくおもえるよ。