結局このブログで何したいかというと
こちらのブログを開始したわけは、
結局私は何がしたいかというと
「過去の父親や母親や最低な大人達への恨みつらみを晴らしたい」わけではなく、
「悲しくて辛くて、いつもいつも死 にたい気持ちを抱えている」ということではなく、
上の二つは大いにあったし、死にたいくらい苦しんで、
実際死ぬことを3回も失敗したし、
今でも虐 待する奴らは生き物至上最低な奴らと思ってるのだけど、
結局のところはそれらを無くしたいっていうのが本当のところであるのだ。
確かに、過去の恨みつらみを書いている人達のブログがあるように、本当に虐 待を受けた人たちの現場は悲惨なんです。
その後の人生を狂わせたりしてしまうほどに、孤独と自己否定と言い様のない生き苦しさに毎日毎日向き合わされます。
でも、だからと言って、
泣き寝入り
で人生終わるのは私は違うなと感じているのです。
問題の元ってどこにあると思いますか?
虐 待を、受けた事ですか?
違います。
虐 待って要は2次被害であり、
問題の元は「虐 待を、する人」なんです。
彼ら彼女らを知らないと、「虐 待」って無くならない。
では、「虐 待」する人を作ったのはなんだと思いますか??
それは、その人たちの人格を作ってきた環境、親、時代背景、
時にはその人そのものの気質でもある。
虐 待を、する人を育てた人が、
その人を身体的な虐 待を、したとは限らず、
かかわる大人として、色んなタイプが虐 待する人を作り出したのでもあります。
身体的なものだけでなく、言葉で虐げたり、
または、虐 待を見て見ぬ振りして守れない大人も、虐 待する人を作ります。
だって、見て見ぬ振りすることは、
虐 待をされている人から見たら
「虐 待って日常だと感じて、異常なことだという感覚が見つけにくいから。」
虐 待された人のブログ見て見て。
「これが普通なのか、みんなそうしてる、されているのかもしれないと、異常さに気づく事ができなかった。」
臭い匂いは元から断たないとダメなのと同じで、
原因の原因を見ていかないとなんにもならない。
それは違う!と思う人もいるのか??
よく考えてみて。
これだけ頭の中を共有できる時代になって、
自分のまわりの何かしらをなんにも考えを変えられない大人は馬鹿だと思う。