虐_待と、癌とかと

①癌サバイバーのが辛い


②被虐_待サバイバーのが辛い




比べようとする人がいる。


どちらでも無いのに比べようとする人がいる。






…どっちも死にそうに辛いんに決まってるやんか!!怒



でも、癌サバイバーから見たら、


「心は知らんけど、身体は健康ならいくらでも生きれるし、やり直せるやんか。」



…という。




被虐_待サバイバーから見たら、


「検査や写真に病の重さ軽さが現れるし、人々からの辛さの認知度あるやんか。

今こうなんです…て、検査結果見せたら理解や同情してくれるやんか。」


「虐_待の辛さ、消えたさ、生き辛さって、とりあえず何も無かったふりして日常生活してるから、しんどさを誰も理解をしてくれない。

毎日フラッシュバックとか、今すぐ飛び込みたくなる、叫びたくなるくらいの狂気になるのに。とにかく人に話せない。理解を得難い」






わかるだろうか。



辛さはそれぞれ必死なほどにしんどいのに、

お互いの辛さを比べあってどうなるんだ。





癌サバイバーの人に、

「癌なるくらいだから、いつも食べ物や生活習慣が酷かったんだろう?」


…なんて、実際と違う事実無根なこと言われて納得する?



被虐_待サバイバーの人に、

「どうせ無防備だったんだろう。色目使ったんだろう。」


…なんて、本人が小さな何もわからない子供だったとしても面と向かって言えるのか?



それくらいに、内側の傷ってさ、


手を差し伸べられ難いし、

自分が手を差し伸べられない。


「助けて」って、言えない、

どう言ったらいいのかわからない。



傷の深さの証明ってのが、本当にできないの。



だからさ…。



とにかく比べないで。


されたことない人が、されたことある人の傷を測るとかしないで。



最低。