たとえば、どんなことを私は経験したのか。
物心ついたらしきあたりの初めての記憶、一番古い古い記憶は、
確か幼稚園児となる前の4歳くらいの事だったと思う。
その時の私が持っていた感情は、特に悲しみもなく嬉しくもなく、ただぼんやりと寝転がって独り壁を見ていたと記憶している。
うぐいす色の漆喰の壁を、なぜか大きな黒い長卓のしたに潜り込んで眺めている。
そんな私がそのとき何をして長卓のしたにいたかなんて全くわからない。
ただ、そのうぐいす色の漆喰の壁でできた建物はどこかの社宅らしく、
間も無くその社宅から出て、私たち家族は別の場所に住まいを移したのだった。
社宅の時は確かに男親(実父)は働いていたのだけど、移り住んでからはそいつはもう働きに出ることが全く無くなった。
昼間からパンツ一丁でウイスキーをただただ朝から晩まであおる。
毎日毎日そんな景色、
たまに、男は作業着を着て外に飲みに出かけているだけだった。
女親(実母)は、その時からもう夜には私達兄弟を置いて働きに出ていた。
濃い化粧をして、日付が変わると帰ってくる。
私の中の一番古く刻まれた母親像は、もうそんな姿なのだ。
すでに、当時の私には、普通の母親像は
「皆どこのお母さんもそうなんだよね?
でも、みんなのお母さんは私のお母さんとはどうも違うみたいなんだけど…。」
わかりますかね、
不完全家庭に育つと、本来の基本的まともな生活というのが全くわからなくなる。
何が異常で、何が標準なのかというのが見分けができなくなる。
「なぜかわからないけど、うちにいると快適ではない事のが多い。」と、感じていた。
TVのホームドラマの生活は、私の中では本当に夢の世界の暮らしだった。
見ていたドラマ、普通の家庭を描いたホームドラマなのに、
私は何にも理解できなかった。
朝昼晩家族そろって仲良く和気藹々と食事をたべる…って、TVの中の特別な人達だけの話かと本気で思っていた…。
我が家の朝は、起きると一番子供達が最初に見る景色は、
母親が崩れた化粧のまま大口を開けて半裸で寝ている姿と、
となりで酒臭い父親が大いびきかいて寝ている姿。
子供達は、お腹が空きすぎて目覚め、
まず汚れ物がそのまんまの台所に、食べ物が今朝はあるのか無いのかを探しに起きるのだ。
無い時はどうしてたかもう忘れてしまった。
…私は何を食べて生きていたのだろう?
とにかく、母が作ったお味噌汁だとか食パンだとか、
そんな普通なものさえも一切無かった。
手製の朝食の記憶が全然無い…。
親が起きて、家族で囲む朝の食卓の記憶が無い…。
朝は今思い出しても虚しさしかない、嫌いな景色が広がる鬱々とした時間帯だった。