優等生が苦手

私が苦手な奴は、ずるい奴、

内側がどす黒いのに外側は優等生。

 

私が苦手な奴、

外側優等生だから、大人はたいがいそれに騙される。

「いい子ねえ!すごいね!」

 

 

 

私が苦手な奴、対して辛い思いしてないのに人の気持ちがわかってやれる奴と思われてるから、

私が大好きな人もそれに騙されるんだよなあ…。

私は、その優等生態度できないから、

辛いことは辛いって言うし、苦手な奴は苦手と言う…、てか自分の気持ちに正直に生きると、大人には気に入られないんだよな。

 

 

葛藤はする。

開き直って優等生のふりして、あの人に気に入られようか…とか、

色々色々考えるんだけど、

 

 

実際のところそれをしてしまうと私の場合自分をもう金輪際癒せなくなる。

 

あの時の辛い、しんどいで居たまんまで仮面をかぶる作業に戻る気がして出来ないんだ。

 

 

 

 

 

自分が癒しが終わると、人に対して自然と優しくなるという。

 

 

でもなあ…。

でもなあ………。

 

 

 

聖母みたいってなんなのさ。

ジーザスの母マリアはたしかに聖母。

 

だがな、

グラナダのマリアも聖母なんだよ。

 

 

 

 

ジーザスの母マリアが清廉潔白でいられるのは、

守られてきた愛があったからだろうが……。

 

 

それが辛かった、どうだっていわれてもな。

 

根本的にグラナダのマリアにその守られてきた愛があったというのか?

無かったんだよ。

 

だけどマリアなんだ。

守られず痛めつけられながらも痛みから這い蹲りマリアとなったグラナダのマリアのが、

私にははるかに優しさを感じる。

 

深い深い包容力を感じる。

 

罪人をもまず無条件で包み込む海容を感じるんだ。

 

 

優等生マリアしか、認めないなんて、気に入らないなんて、

たまにあいつに無性に怒りを感じて薄っぺくおもえるよ。

 

 

 

 

 

 

 

広告を非表示にする

結局このブログで何したいかというと

こちらのブログを開始したわけは、

結局私は何がしたいかというと

 

「過去の父親や母親や最低な大人達への恨みつらみを晴らしたい」わけではなく、

 

「悲しくて辛くて、いつもいつも死 にたい気持ちを抱えている」ということではなく、

 

 

上の二つは大いにあったし、死にたいくらい苦しんで、

実際死ぬことを3回も失敗したし、

今でも虐 待する奴らは生き物至上最低な奴らと思ってるのだけど、

 

結局のところはそれらを無くしたいっていうのが本当のところであるのだ。

 

 

確かに、過去の恨みつらみを書いている人達のブログがあるように、本当に虐 待を受けた人たちの現場は悲惨なんです。

 

その後の人生を狂わせたりしてしまうほどに、孤独と自己否定と言い様のない生き苦しさに毎日毎日向き合わされます。

 

 

でも、だからと言って、

 

 

泣き寝入り

 

 

で人生終わるのは私は違うなと感じているのです。

 

 

 

問題の元ってどこにあると思いますか?

 

虐 待を、受けた事ですか?

 

 

違います。

 

虐 待って要は2次被害であり、

 

問題の元は「虐 待を、する人」なんです。

 

 

彼ら彼女らを知らないと、「虐 待」って無くならない。

 

 

 

では、「虐 待」する人を作ったのはなんだと思いますか??

 

 

それは、その人たちの人格を作ってきた環境、親、時代背景、

時にはその人そのものの気質でもある。

 

 

虐 待を、する人を育てた人が、

その人を身体的な虐 待を、したとは限らず、

 

かかわる大人として、色んなタイプが虐 待する人を作り出したのでもあります。

 

身体的なものだけでなく、言葉で虐げたり、

 

または、虐 待を見て見ぬ振りして守れない大人も、虐 待する人を作ります。

だって、見て見ぬ振りすることは、

虐 待をされている人から見たら

「虐 待って日常だと感じて、異常なことだという感覚が見つけにくいから。」

 

 

虐 待された人のブログ見て見て。

 

 

「これが普通なのか、みんなそうしてる、されているのかもしれないと、異常さに気づく事ができなかった。」

 

 

臭い匂いは元から断たないとダメなのと同じで、

原因の原因を見ていかないとなんにもならない。

 

 

 

 

それは違う!と思う人もいるのか??

 

よく考えてみて。

 

 

これだけ頭の中を共有できる時代になって、

自分のまわりの何かしらをなんにも考えを変えられない大人は馬鹿だと思う。

 

 

8月が嫌い

毎年、ジリジリジワジワと不快さを増してくる暑さに、

普通の人なら「夏だ!」とワクワクしたりするのだろうか。

 

 

私はあまりにも8月は嫌い過ぎて、「うわあ、また8月が来るのか…。」と今でもなるのです。

 

 

何より、毎日毎日酒を朝から晩まで常にお茶や水よりも飲んで家にいるような父親が居る家に毎日いなければいけなかったのだ。

 

私達がいない間に酒がなくなれば、酒屋にツケで買いに行かされる。

酒屋のおばあちゃんに、よく苦虫を噛み潰したような顔で「大変だねえ…。」と何度言われたことか…。

 

夜働く母は昼は家にいるので、子供には毒でしかない性   的な  行為が始まり出すと、

私達はやり場にない気持ち悪さで追い出される前に察して目的もなく外に出て遊ぶ場を探す。

 

本当に気持ち悪いしかなかった。

帰宅すると暑くてうだる部屋の空気が、更に汚れ淀んだ空気になっていて思わず息を止めたくなる。

 

 

 

 

できる限り家に居たくないのと、夜は夜で酔っ払いの父親が狂ったように子供達を並べ座らせ、釣竿(態度が父親から見て悪いと判断されたらその釣竿で赤痣ができるような強さで叩かれるのだ)片手に「おまえらはな!」と、お前なんかに言われたくない説教をえんえんと始められ、

挙げ句の果てに「子供はもう寝ろ!」と深夜番組を見るために子供達を強制的に寝かすのだから、夏休みドリルに向かい集中する時間などないのだ。

(そんなお子さんがいたら気にかけてあげてください、ネグレクトや家に落ち着いていられる場ではないのかもしれません)

 

夏休み中に宿題を終えれる事は全く、毎年度先生に怒られていた気がする。

 

そんな父親が、猛暑日といわれた盆過ぎのある日、屋外にある便所に行こうとした途中で倒れて死んだ。

 

母親は居たので、救急車を呼び運ばれたがもう心臓は止まっていたらしい。

 

死因は心筋梗塞と肝硬変。

 

 

子供でしたので、あんな父親でも悲しかったようで一晩泣きつくしたようだが、

私達兄弟は翌日の葬儀では全く平気だった。

 

みんな、心の中で何もいわなくても

「あんな身勝手なことで怒り狂い殴り、子供にいろんな意味で心身に様々な痛みのあることしかしない存在と暮らさなくて良いようになったんだ…嫌な日々がもう今日から来ないんだ」

 

 

もう、不思議とみんな涙が出なくなって、

火葬場で鬼ごっこが兄弟で始まり、知らない親戚や訪れた人々は「あんなに気丈にふるまって…かわいそうだね。」と私達を見ていました。

 

火葬場の煙突(昔は煙突があったのだ)から登る父親の火葬から登る煙を見つめている母親が、不意に私に話しかけてくる。

「さっき、煙の先に光っているのがあっただろう。あれはきっと父さんだろ。死んじゃったんだねえ。」というと、

急に激昂にて私の顔を見、「あんたのせいだ!あんたが病気だから(先天性心疾患)だから気にして死んだんだ!」と、私に向かい泣き叫び言ってきた。

 

父はシラフの時に他人には「お金がかかる」、「女の子に傷跡があったらかわいそうだ。」という理由で、受診と手術を勧める大人の提案を断っていたが、

本当のところは違うところにあった。

 

病院に行けば虐 待がバレるからだ。

他の兄弟も、同じ理由でどんなに体調悪くても病院に連れて行かない。

 

 

そんな大人の上部と真相を子供の頃から見ていると、

圧倒的に人に対しての信頼ができなくなってしまうのでした。

 

 

私達はそんな風に育ってきました。

 

 

 

残酷なようだが、死んでも悲しんでもらえないような親。

 

みなさん、なりたいですか。

自分でも、一歩引いたところでそんな父親かわいそうだと思う。

でも、怒りや嫌悪感のが圧倒して勝つのだ。

 

 

私は今でも、命日だから参ろうとか、手を合わせたいとか思うことができません。

 

何にも知らない父親の兄弟は、

父親に感謝しなさいね。親なんだから!」と、当たり前の常識を言ってくるが、

悪いとは思うが体裁合わすだけの為に手を合わせるたくもないし、墓の前に行っても何にも祈ることをしたくないとも感じてもしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

広告を非表示にする

虐_待と、癌とかと

①癌サバイバーのが辛い


②被虐_待サバイバーのが辛い




比べようとする人がいる。


どちらでも無いのに比べようとする人がいる。






…どっちも死にそうに辛いんに決まってるやんか!!怒



でも、癌サバイバーから見たら、


「心は知らんけど、身体は健康ならいくらでも生きれるし、やり直せるやんか。」



…という。




被虐_待サバイバーから見たら、


「検査や写真に病の重さ軽さが現れるし、人々からの辛さの認知度あるやんか。

今こうなんです…て、検査結果見せたら理解や同情してくれるやんか。」


「虐_待の辛さ、消えたさ、生き辛さって、とりあえず何も無かったふりして日常生活してるから、しんどさを誰も理解をしてくれない。

毎日フラッシュバックとか、今すぐ飛び込みたくなる、叫びたくなるくらいの狂気になるのに。とにかく人に話せない。理解を得難い」






わかるだろうか。



辛さはそれぞれ必死なほどにしんどいのに、

お互いの辛さを比べあってどうなるんだ。





癌サバイバーの人に、

「癌なるくらいだから、いつも食べ物や生活習慣が酷かったんだろう?」


…なんて、実際と違う事実無根なこと言われて納得する?



被虐_待サバイバーの人に、

「どうせ無防備だったんだろう。色目使ったんだろう。」


…なんて、本人が小さな何もわからない子供だったとしても面と向かって言えるのか?



それくらいに、内側の傷ってさ、


手を差し伸べられ難いし、

自分が手を差し伸べられない。


「助けて」って、言えない、

どう言ったらいいのかわからない。



傷の深さの証明ってのが、本当にできないの。



だからさ…。



とにかく比べないで。


されたことない人が、されたことある人の傷を測るとかしないで。



最低。


広告を非表示にする

くそ!畜生‼︎

こんな記事を見るたびに、昔のしんどい感情の重い扉が勝手に開きだす。


http://matometanews.com/archives/1858178.html


今ようやく、こんなこと達から俯瞰して見れるようになっても、

どうしたって許しがたい感情という、許しがたい気持ちが完全に消えるのは難しい。


この頃ようやく国会で、新しい法案が可決した。


あのさ、今上みたいなことしてる最低な奴。

絶対捕まるからな。



こんなこと、命奪われるよりも辛いんだ。

死んだ方がマシだと毎日毎時間毎分毎秒、

苦しみながら生きないといけないの。



本当、やめて。

こんなことする奴、狂ってるって自分で気付かないかな。

ロクな死に方、本当しないから。






広告を非表示にする

幸せになってはいけない人などいない

ブログを書き始めた理由はなんなのかと問われたら、


◎それは私の心が過去からきちんと自由となるため


と、


◎昔の私と今の私は驚く程に違う。

昔が不幸だとしたら、今は存分に幸せだということ。

また、昔の著しい不幸から脱却し、今幸せだと感じれる理由は、「私は幸せになることを選ぶ」と心にしかと決めたから、選択したからという事実を伝えたいということ。



◎また、こうして文に記すいう事は、決して悲劇のヒロインになりたいわけでは無いという事。

よく周りに、「自分がいかに今不幸か」を何度も何度も、人を変え場所を変え、他人に言わないと気が済まないひとがいるけど、

其れこそ現状をわざと抜け出さず、わざと悲劇のヒロインでい続けることに酔っている、

選んでいるということが理解出来ない人もいる。


未成年だとか、自分を取り巻く過酷な環境を社会的に非力のため変えられない人を除いては、

大抵の大人はこの日本では「朝起きてから最初に踏み出す足を変える」くらいに、

意識的にそれを感じて、いつも踏み出す足は右なのか、はたして左なのかを認識して変えるだけで、もう今までいた自分の悪癖悪習から離れる脱きっかけは始められたと言っても過言ではありません。

     



まだまだこのブログ始まったばかりなんですが、

かなり出来事的にしんどいことも書くかもしれないので、よろしくお願いします。

たとえば、どんなことを私は経験したのか。

物心ついたらしきあたりの初めての記憶、一番古い古い記憶は、

確か幼稚園児となる前の4歳くらいの事だったと思う。



その時の私が持っていた感情は、特に悲しみもなく嬉しくもなく、ただぼんやりと寝転がって独り壁を見ていたと記憶している。


うぐいす色の漆喰の壁を、なぜか大きな黒い長卓のしたに潜り込んで眺めている。

そんな私がそのとき何をして長卓のしたにいたかなんて全くわからない。


ただ、そのうぐいす色の漆喰の壁でできた建物はどこかの社宅らしく、

間も無くその社宅から出て、私たち家族は別の場所に住まいを移したのだった。



社宅の時は確かに男親(実父)は働いていたのだけど、移り住んでからはそいつはもう働きに出ることが全く無くなった。


昼間からパンツ一丁でウイスキーをただただ朝から晩まであおる。


毎日毎日そんな景色、

たまに、男は作業着を着て外に飲みに出かけているだけだった。


女親(実母)は、その時からもう夜には私達兄弟を置いて働きに出ていた。

濃い化粧をして、日付が変わると帰ってくる。



私の中の一番古く刻まれた母親像は、もうそんな姿なのだ。


すでに、当時の私には、普通の母親像は

「皆どこのお母さんもそうなんだよね?

でも、みんなのお母さんは私のお母さんとはどうも違うみたいなんだけど…。」



わかりますかね、

不完全家庭に育つと、本来の基本的まともな生活というのが全くわからなくなる。


何が異常で、何が標準なのかというのが見分けができなくなる。



「なぜかわからないけど、うちにいると快適ではない事のが多い。」と、感じていた。


TVのホームドラマの生活は、私の中では本当に夢の世界の暮らしだった。


見ていたドラマ、普通の家庭を描いたホームドラマなのに、

私は何にも理解できなかった。


朝昼晩家族そろって仲良く和気藹々と食事をたべる…って、TVの中の特別な人達だけの話かと本気で思っていた…。


我が家の朝は、起きると一番子供達が最初に見る景色は、

母親が崩れた化粧のまま大口を開けて半裸で寝ている姿と、

となりで酒臭い父親が大いびきかいて寝ている姿。


子供達は、お腹が空きすぎて目覚め、

まず汚れ物がそのまんまの台所に、食べ物が今朝はあるのか無いのかを探しに起きるのだ。



無い時はどうしてたかもう忘れてしまった。


…私は何を食べて生きていたのだろう?

とにかく、母が作ったお味噌汁だとか食パンだとか、

そんな普通なものさえも一切無かった。

手製の朝食の記憶が全然無い…。


親が起きて、家族で囲む朝の食卓の記憶が無い…。


朝は今思い出しても虚しさしかない、嫌いな景色が広がる鬱々とした時間帯だった。